偏愛的作家論

今朝,病院に向かう車のラジオが読書週間のことを伝えていました。そういえばAmazonから電子リーダーKindleも発売されて何やら今年の読書週間は「熱い」気がするんですが、どうでしょう。
というわけで、ふと僕が読書にのめり込むきっかけとなったことを書きたくなりました。
僕は最近の作家にあまり興味がなくて、本屋の平積みにはあまり食指が動かないのです。というより嗜好がとても限定的なところがありまして、気に入った作家を中心に徐々にそのつながりの輪を広げて読み進んでいくという感じです。その最初の取り付きはこんな感じです。
高校二年生だった僕に、当時付き合ってた(というより慕っていた)うんと年上の女性がいまして、既婚者で子供も二人あったのですが、詩を書いている人でした。あるとき彼女が何気なく呉れた一冊の本がありまして、それが澁澤龍彦マンディアルグ「ボマルツォの怪物」でした。マンディアルグの耽美なサディズム文学を理解するにはあまりに若かったこともありますが、なんといういやらしい文章を書く作家なんだと最初は猛烈な衝撃をうけ、大人の世界を垣間みる時の罪悪感と同時にもっともっと見てみたいという切なる矛盾を抱えながら密かに身体を熱くして読み進めていくうちに彼女がどんな意図でそんな本を僕に呉れたのかよく分からないにしても、単なるエロ小説とは厳然と違うということだけは高校生の僕にも理解できました。それと同時にマンディアルグの他の作品も読みたくなりましたが、図書館で借りるとなると勇気がいるし、買うなんてとてもとてもでしたので、この作家は僕が成人してからの楽しみになったのですが訳者の澁澤龍彦という人はどんな人なんだろうかと、今度はそっちが俄然気になりだしまして、こちらも当時の年齢からすると相当際どいところなんですが、いっぱしの文学通を装って読み飛ばすうちに深く傾倒していきました。サド文学の最善の訳者だった澁澤龍彦の面白さはなんといっても現実と空想の狭間、奇想譚にあると思われますが、その作品の中に「偏愛的作家論」というものがありまして、実はこれがその後の僕の読書嗜好の核をなしていると言っても過言ではないくらいに大きな位置を占めるに至っています。澁澤龍彦の気に入った作家を羅列して解説を述べている本ですがその内容がそのまま僕のその後の読書遍歴になっていると思います。

そのなかでやはり今年も読んでしまった作家に三島由紀夫久生十蘭がいます。全くタイプの違う二人ですが、どちらの作品からも僕の青春期の感受性、思索的方向性を与えてくれたと思っています。全くこんな二人を知らせてくれた澁澤龍彦という人に最も感謝しなければなりません。

実は澁澤龍彦の全集も読みましたね。白水社の新編ビブリオテカ「澁澤龍彦」10巻と河出書房「澁澤龍彦コレクション」1〜4。とにかくこの作家の文章は優しい語り口で凄いことをいう感じで、大好きなんです。

相当偏った読書ですが、やっぱし最初のマンディアルグからこうなってしまったんですね。まったくどんな企みがあったというのでしょうか、彼女には。