吾唯足知

たしか、龍安寺の蹲踞(つくばい)にも吾唯足知とあったと覚えているが、この精神をまさに今心に留めておくべきだろう。
たとえば脱原発への動き。誤解を恐れずにいえば単に原発は怖いから反対でその代替エネルギーを探せというのであれば、去年の震災から何も学ばなかったことになるのじゃないだろうか。風力発電にしろ、地熱発電にしろその他どれほど技術の粋を集めた施設を作ったとしても必ず負担は出てくるのだ。渦中の原発自体その最新技術を謳った安全神話によって推し進められてきたんじゃなかったか。それと同じロジックで代替エネルギーを語ろうとしてはいまいか。最も重要なのは脱原発ではなく脱電気エネルギーを目指すという生活意識の改革だと思うのだが如何なものか。
東北大震災から一年と少しが経った今も相変わらず電気エネルギーに依存した暮らしを送っているのは愚かなことだと思えないか。エネルギーに関しては足ることを知ることこそあの震災から得た教訓だったはずだ。
阪神淡路大震災の復興のシンボルとして始まったルミナリエという外国の文化に頼った催しが開催されているが、僕にはどうも腑に落ちないところがあった。今回の災害ではっきり見えてきたのだが、それは相当な電気を使って行われているという矛盾めいたところであった。。
本当に必要なところにはエネルギーを使わなければならないのはわかるが、真夜中にコンビニを開けておくことが本当に切羽詰まって必要だとは思えない。今や日本の使用エネルギー量は世界平均の五倍だそうで、その多さに驚くばかりだ。五倍ということは言い換えれば今の生活の使用エネルギー量を五分の一にしたとしても人間として充分生きてゆけるとも言えるだろうから、我々がいかに不要な浪費をしているのかを物語っていよう。だがこれには反論もあろう。経済活動が旺盛になるほど消費エネルギーも増えるのだと。しかし経済大国であることがそれほど意義のあることだろうか、僕にはそう思えない。
経済小国でもいい。強い国であれば。
となると、今の政権には途方もなく疑問符がつくのだが。余談だが僕は知人によく左寄りの人間だと思われている節があるが,それは間違いで意識の基準はあくまで保守的思想にあると思っている。改憲論に反対しているのは、あくまで改憲ではなく占領国家当時に制定された無効な憲法を速やかに廃止し、新たに制定し直すことを希望しているのであって,全く左寄りではない。

最近、意識的に小食にしている。これはダイエットの意識もあるが、僕の足るを知ることでもある。東洋医学では血(単に血液だけの概念ではないが)の汚れにこそ万病の原因があると説いている。この血を汚す元となっているのが過食である。不眠や鬱、突発睡眠といった我が身の症状を顧みるに、なにか足りないものがあるからこそ症状が出てくるのだと思い込みそれを補ってきたのだが、どうやら違ったようだ。
足り過ぎていたのである。

今は一日一食でも充分なようだ。40キロの自転車漕ぎも相変わらず続けているし、力が出ないということもない。むしろ空腹感にあるときこそ気持ちが冴えてくるようだ。眠気も今はない。夕食の美味しさはまた格別で、粗末なものでも身体に沁み入ってくるのを感じることができる。一食に拘らないが小食が身体にいいということは間違いないだろう。

吾唯足知、本当は食べ物以外のほうに問題がある僕なのだが。