なかなか指が動かんのです

最近、またまたアップ気力なし状態が続いてしまい、数少ない来訪の方には詰まらないことになってしまっていました。申し訳ないことだと思っています。ただ、これも僕のペースですのでどうかご了承下さい。
と、まあアップしない間にもいろいろな事が当然ありまして、備忘録たかがたお披露目したいと思います。

先月8月は中頃に、自転車友と乗鞍(畳平)へ行ってきました。
前日は木曽福島までJRを利用し、境峠、白樺峠(乗鞍スーパー林道)を越えて乗鞍高原ペンション「ありす」へ向かうルートでした。途中、味噌川ダムへ立ち寄って「ダムカード」を手に入れ土産としましたが、思いの外というか猛烈な厳しい道程で最後の白樺峠へ辿り着いた頃はすっかり日も落ち、真っ暗な穴だらけの悪路を急いで下るという命懸けの行路となりました。その上悪天で時折驟雨が襲うという有様、ペンションに辿り着いた時には本当に「命があって良かった!」と叫ばざるにはおられませんでした(笑)
翌日、一応高原の天気は回復したものの乗鞍岳には全体に雲が覆いかぶさって、何やら今日の登坂に不安がよぎります。
それでも何とか目標時間過ぎには無事に畳平へ到着し、少時、別世界の涼しさの中に疲れを癒していましたが、いざ下山となりスカイラインを岐阜方面に走って暫くした頃から猛烈な雷雨に遭遇し、他の仲間は合羽を着込むところだったのですが、僕はとにかく一刻も早く下山するべしと判断し、一目散に駆け下りました。案の定、雲を突破して下界に入れば雨の痕跡すらなくスカイライン入り口の管理事務所前で泥に汚れ、ブレーキシューの削れかすがこびり付いたタイヤをぼんやり眺めてしまいました。その後高山まで気持ちの良い下り基調を走り市内でカレー、御手洗団子を食べて特急「飛騨」で帰りました。
今回の最大の反省はシートにキャリアを付けた事。取り付け部分を確保するためにサドルを後ろに下げねばならず、それによって大きくポジションが変わり非常に疲れました。海外のフレームは小さいサイズでもトップチューブが平均的日本人には長く、そのため僕はなるべくサドルを前に詰めるようにして全体のバランスを取っているのですが、それが少しでも狂うとこんなにしんどくなるとは思っても見なかったことでした。ペダリングポジションの奥深さを思い知った乗鞍行でした。

8月の最終土日は恒例「シマノ鈴鹿」。
これにはチームTTと翌日のシニアクラス(オーバー50)に出場。非常に蒸し暑い中何とか走ってきました。しかしとにかく僕の貧脚を思い知らされる大会でした。ただチームで走る面白さ、一体感は得難い経験になりました。来年こそはもっと上を目指してガンバロウと意気込んではみたものの連日の猛烈残暑にペダル漕ぐ気も起こらないというのが本音です。誰かに鞭でも使って追い込んでほしいところです。実際に鞭を使うのはいやですけど(笑)
早く涼しくなって欲しいものです。
話は変わりますが、以前ここでも書いた通り僕は多汗症手術の後遺症で身体に大汗をかくんですが、「オドレミン」という良い塗り薬を発見しましてそれ以来、相当汗が止まりました。ただいま快適に暮らしています。なので多少暑くても体感的には凌げるようになったのが嬉しい限りなんです。


さて9月に入ってすぐに、フェリーで大分の母の顔を見に行きました。京都から向こうへ行って半年、意外な程母は元気で機嫌が良く不思議な事に白髪がとても少なくなっていて驚きでした。


母と兄と兄嫁とでのんびり一日を過ごし、宇佐唯一の料亭で遅い目の昼食をして一同大満足。母はとても可愛くなって見えました。
今回の宇佐では兄に案内されて温泉巡りを軸にあれこれ訪ねてみました。一日目は直ぐに母の顔を見にゆき、その帰りに金色温泉の露天風呂は寛げました。いくらフェリーとはいえやはり九州は遠く疲れていたので寝転んで庭を眺めるこの露天は最高でした。

どどーんと出迎えられる。

中にはエンジンの残骸が展示されている

何故にF86なのか
そこへの道すがら、昭和の大横綱双葉山の資料館と生家を見学しました。横綱が安藝ノ海に敗れてついにその連勝が止まったとき「未だ木鶏たりえず」と言った心境や、「稽古は本場所のごとく本場所は稽古のごとく」と考えたこの人に求道者の見る思いがしました。
その後、城井一号掩体壕(じょういいちごうえんたいごう)を訪ね、その大きさに驚きました。また複座戦闘機「屠竜」が、飛来したB29に正面体当たりを敢行し諸共に散った跡である八面山平和公園に何故かあるF86と訪ねます。陸軍航空隊があったことから戦争遺跡が多いのも宇佐の特徴なのです。深く平和を祈りながらあちこち観て回りました。ところでこの日は台風12号がいよいよ四国に上陸というところで、その進路が以前猛威を振るった第二室戸台風に似ていたため、うちにいる家族が心配でしたが大阪は案外大丈夫だったようです。ただバイクツーリングで今までお世話になっている地域、奈良、和歌山方面が惨憺たる状況で猛烈に心が痛みました。一刻も早い復旧を願うのと、このコースでやって来る台風は恐ろしいと言う事を肝に銘じないといけないと思います。犠牲者には哀悼の意を捧げます。

その後、ちょっと寄り道で耶馬渓を走り兄の家に帰りました。
二日目、母と夕食を楽しんだ後「まほろば温泉 菟狭(うさ)」に入湯。この日宇佐では相撲大会が行われていた関係で数人の力士が入ってきました。やはりでっかい身体でした。
三日目には兄が面白いところへ連れて行ってやると言う事で訪ねたのが「桂昌寺跡地獄極楽」というところでした。

ここは面白かった。山肌へ穴を穿ってその中を地獄極楽になぞらえてありました。

これは怖い


ひょえ〜

最後に垂直の穴を鎖を頼りに登ります。と、そこには阿弥陀仏がおられるという仕掛けでした。江戸時代の作だそうですが今も非常に楽しめるテーマパークだと思いました。

その後、汗を流しに壁湯へ行きました。ここは以前から知っていましたが訪ねるのは初めてです。期待以上に良い湯でした。


中は混浴で近所のおばさんが先に入っておられ、挨拶をして横に座らせてもらいました。あれこれ三人で世間話をして出ました。川の音を聞きながらの温めの湯は何時間でも入っていられる程でしたが、この日の夜に別府より帰阪する予定だったので後ろ髪を引かれる思いで壁湯を後にしました。

昼食は奥耶馬渓蕎麦屋です。とろろ蕎麦が絶品でした。本当に美味しかったですよ。土産に「からし椎茸」を買いましたがこれも美味でした。

北九州一帯は山口、愛媛と一帯の石灰質の土壌であるのか風雨に晒された山の造形に奇怪なものが多いのです。耶馬渓、奥耶馬渓もそうですが、このあと訪ねた豊後高田の田染荘(たじむのしょう)の景観は一種不思議な感じに思えます。
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田染荘はもともと宇佐神宮の荘園で、今もその痕跡を多く残す北九州山間農村の典型のような佇まいでした。本当はスケッチをして帰りたいと思っていたのですが生憎の雨で残念ながら数枚の写真を写すのみでした。宇佐には良い風景が沢山あります。もっと定期的に母の顔を見に訪れようと思いました。
一旦兄の家へ帰り、自慢の鉄道模型コレクションを見せてもらい、程なく暇乞いをして車に乗り込んだところ兄が別府への帰りに豊後高田の昭和の町へ行かないかと声をかけてくれたので、兄の車に先導されて行きました。

雨で人出が少なく少し寂れたような感じでしたが、それが一層昭和らしくてたまらない情景になっていました。ここでもスケッチがしたかったのですが、やはり雨でした。

別府港19時半のサンフラワーコバルトは定時に出航、食事以外は殆ど船室に籠っていました。

実はこの大分行きの直前に我が家の愛犬「なっつ」が頬の内側に出来た腫瘍を摘出する手術を受けており、旅の間中心配していました。今は傷も癒え幸い転移もないことから一安心しています。

さて先週土曜日は、なんと午後から時間が空いたので(仕事がないだけ)ぶらっと小浜までスケッチに行ってきました。

鯖街道起点の商店街です。一言に鯖街道と言っても数多くの道がありますが起点はここです。ちなみに終点は出町柳といわれています。

遅い目の昼飯は何と言ってもここです。中亀定食がお勧めです。


あまりに新鮮そうだったので、買って帰りました。ぐじの良いのを一尾と子鯛を三尾。鮮やかな手つきで捌いてくれました。

この日も猛烈に暑い日で陽射しが強く、とても紙を観ていられないのでスケッチは断念。最近こればっかり。

そして帰り道に立ち寄ったのがここ大飯町名田庄にある「暦会館」。土御門家(阿部家)と暦の資料が沢山展示されていて面白いです。特にこの日の係の女性が大変話し好きでまた好感のある方だったので、一時間程何やかやと話し込んでしまい(その間、見学者は僕一人でした)、しまいには家庭の事や仕事の事、社会情勢なんぞまで話して、まるで旧知の親友のようでした。生魚を車に積んでいるから今日はこのへんでと、後ろ髪引かれながらの帰宅となりました。


美味しゅうございました。