夜話

最近ニーチェが読まれているらしい。書店に行っても平積みで置かれているところもある。ただ読まれているといっても村上某の小説ほどではないだろうが。
よくベストセラーで百万部突破とか宣伝しているのを目にすることがある。しかしいったいこの国の読書可能国民数からすれば百万の数がどの程度のものかを考えると笑止な話である。わずか数%である。これが学術書ともなると推して知るべきで、これはやはり憂うべきことではないのか。
ニーチェは浅学な私がいうのもおこがましいが、キリスト教的民主主義、大衆政治を強烈に批判した思想家だ。またその思想はファシズムの思想的根幹として取り入れられた(これはニーチェ哲学が謂わんとした事ではなかろうし御本人も否定されているが、ファシストに美味しいとこ取りされた感がある)。隣国との諍いが続くこの時期になってニーチェの思想が流行が一部のインテリゲンチャに現れ、そのインテリゲンチャのかいつまんだ話しがニーチェなど知りもしない一般大衆に聞こえた時、ファシズムが一般化するのではないか。いや、もしかしてこのニーチェブームもそういう揺動が密かにあるのかも知れん。大衆はいつも煽動されて動くものだ。
戦争の夢を観た。私が銃を持ち、とある住宅を襲撃していた。その時の心情はなにか必ず撃たれるという強迫観念が働いていた。撃たれれば殺される、死にたくはない。その一心で撃ち続けていた。
嫌な汗をかいて目覚め、もう寝る気がしなくなった。
最近戦争をしたがる、あるいはやむなしと思っている人が増えたように思う。私はじゃあその人達に最前線に行ってもらおうと考えていた。だが今は全員行って欲しくないと思っている。誰一人として血を流して欲しくない。敵も見方も。

政治体制の枠を超えて世界中の人(悲しいが正確ではない)が自由に話し合える、今はそれが叶うんじゃないか?