非常に多忙な十日間であった。しかしそれなりに感ずるところあり。梅雨明けが遅れている。

7月二十一日(火)
一日雨。時々強し。
ETCカード発見す。なんと何故か白衣のポケットから見つかる。
意外なところから出てきたので、どういう経緯でこのポケットに入ったか妙に不思議に思える。
しかしながら殆どの場合、意外なところに忘れる為に紛失ということになるのだろう。
早合点は当てにならない。
それにしても無駄な騒ぎであった。淡路島までの往復料金が悔しい。
反省。

七月二十二日(水)
深夜豪雨なり。雨音で目覚める。あまりの凄まじさにそのまま眠られず。午前三時ごろまで続く。
朝には薄曇りになるも好転せず。
本日日蝕なり。我が国においてはおよそ五十年ぶりの皆既日蝕だそうな。
このあたりでは三分の二が欠けるらしい。
椿事なれども生憎の曇り空で見えず。

七月二十三日(木)
休診日。朝すずし。朝食後に床屋へ行くも予約で満員なり。五時に予約を入れて帰る。
V7にて出かけてみたが頗る好調なり。
午後、京都の母と嫁と三人で京都大丸へ買い物。午飯は大丸横の和食屋で。京都の夏らしい一品で旨かった。
その後、野村へ行き、いろいろと相談事。
店を出た時母が
「お昼ご飯がまだで、お腹が減ってしもた」という。
イノダにてフレンチトーストと珈琲を食す。
結局五時の散髪も行けずに終わった。非常に疲れるも久しぶりの阪急は新鮮であった。

七月二十四日(金)
曇。
北九州、山口に大雨降る。大災害起こる。今年は梅雨明けが遅れるらしい。不吉な天候である。
昼休時、やっと散髪す。
夜、シャワーの最中に腰に違和感が出る。

七月二十五日(土)
朝曇、後雷雨猛烈。出張治療の車中、前が見えず。道が濁流となる。恐ろし。
漸く雨が上った午後、嫁と一緒に滋賀の栗東にある車屋へ娘のミニを取りに行く。
免許もまだだというのに親馬鹿なり。

いろいろ面白い装備満載である。知る人ぞ知るステッカーもあり。
事故の無いことだけを祈るばかりである。
しかし、栗東駅周辺は変貌した。新幹線誘致の夢の跡か。駅のホームで中国人風の女性が物凄い剣幕で携帯に向かって怒鳴っていた。相手は男らしい。どのような経緯があったのかは不明だが、その猛抗議ぶりには恐れ入った。返って清々しささえ感じる。国民性の違いを観る。
腰痛の座薬を入れて、車を嵐山まで運ぶ。なかなか素晴らしい走りっぷりである。久しぶりのミッション車に思わず私が欲しくなる。

夕飯は娘も交えて嵐山の嵯峨とうふ。暑い季節の湯豆腐も乙なものである。
娘には免許取得という目標を是非完遂してほしい。彼女には具体的目標が必要なのである。

七月二十六日(日)
曇、一時豪雨。今年の雨は激しい。異様なり。
業団の生涯研修出席、一日過ごす。
今回は非常に有意義で収穫あり。
しかし疲れた。

七月二十七日(月)
前夜、大雨。
本日はどうしても野村と銀行へ行かねばならなかったので午後から臨時休診。
午飯は京都小川珈琲本店にて。シェフおまかせ。

珈琲店とは思えない本格的ランチであった。
京都へ出向いたついでに様子見に実家に寄り、母と夕食。
何が食べたいかと聞くと、暫く考えた末に
「湯豆腐」はいはい。
雷雨が止んでから、先日の嵯峨どうふへ再び。

非常に疲れる。

七月二十八日(火)
昼休み、昨日時間切れに終わった銀行へ行く。
手続完了。

七月二十九日(水)
蒸し暑し。
信用金庫支店長との遣り取りあり。野村の契約内容変更す。
双方に迷惑をかけてしまう結果となる。優柔不断なことである。
申し訳なく思う。
昼休時、ふと見ると猫がじっと見つめているものあり。一句作る。

落ち蝉の 薄夢や猫の 知らるらん 

七月三十日(木)
早朝まで雨、夜半激しく降る。昨夜嫁が腹痛下痢嘔吐す。心配で眠られず。
ボンヤリと目覚める。
嫁の症状は好転するも今日は用心するよう言う。
昨日と一転、爽快な天気になる。湿気が無い。
午前中、またも野村、信用金庫とまわる。
詫びを入れ、義理も通せた。
株も一万円の大台復帰。新中国ファンドも絶好調なり。
肩の荷が下りて安堵する。
昼はまた母を誘い、尾張屋で宝来蕎麦食す。

帰宅後、久しぶりに自転車に乗る。天気が悪く走れなかった鬱憤を晴らす。
友人のJ氏が鈴鹿耐久にエントリーしてくれた。五時間耐久なり。
本山寺からの帰り、腰を痛める。

一旦帰宅したが落ち着かない。腰に鍼してもジッとしていられぬ。こんな天気は外へ出たい。
と言うことでV7に乗って出かける。


夕暮れの山崎サントリー前で撮影。
ゆっくりだが大爽快な走りであった。