ずっとそこにあり続けて欲しい

後になってとても大事だったと分かるものに限って、いつのまにか姿を消しているものだ。たとえば若い頃に読んだ書物の中にいまどうしても確認したい文章があったとして、そういう書物に限っていつのまにか処分していたりする。誠に後悔すること度々である。最近もイタリアのことを調べているときに(愛犬を失ったことで、いよいよ家内とのんびりヨーロッパを旅する計画が持ち上がってきたので)ボマルツォというところにある奇怪な庭園のことを書いた本があったことを思い出し、たしか三階の屋根裏部屋に仕舞ってあったはずだと昨夜書物の山をひっくり返してみたのだが結局見つからず。いつの間にか処分してしまったらしい。しかし見つからないとなると余計見たくなるのが心情というもので、ネットを探しまわってみたが、ない。
マンディアルグ著 澁沢龍彦訳「ボマルツォの怪物」、どなたかお持ちじゃないでしょうか? あぁ、も一回読みたい。
自然界では事態はもっと深刻である。いわゆる絶滅危惧種というものが年を逢うごとに増えていると言う。例えば植物。僕の子供のころ、河原に当たり前に生えていた紫の花の丁字草、里山には笹百合が良い香りを棚引かせていた。気付いた時には丁字草の代わりにセイタカアワダチソウ、笹百合に代わってタカサゴユリが群茂している。原風景は追憶の彼方に押しやられてしまった。
さてその代表的な絶滅危惧植物にクマガイソウがある。平家物語でご存知の熊谷直実のまさに母衣を被った姿に因んだこの山野草は、その優雅な姿が珍重され乱獲に次ぐ乱獲の末、とうとう今では関西一円どこの山を探してもまず見つからないほど貴重なものとなってしまった。クマガイソウは直接人間によって滅ぼされようとしている悲しい例として心に停めておかねばなるまい。

静岡で開催される模型の祭典「ホビーショー」を見に行くつもりだったが天気が不安定だという予報もあり、気持ちのなかにしんどさもあったので、予定を変更してちょうどこの時期に開花するクマガイソウを見ようと、GUZZIを駆って今では非常に珍しい自生地を訪ねてみた。9時に自宅を出発し枚方から精華町へ出て、木津から笠置、柳生と走り針テラスを通り過ぎ榛原から伊勢本街道を東へ。ドコドコと2時間半かけてやっと到着。途中コンビニトイレ休憩一回のみだった。

ありました。少し時期が遅かった感もあるが綺麗に咲いている。やはり自生の花は美しい。

クマガイソウは南向きの斜面に咲くことが多く、その花は全て同じ方角を向いて咲くというなかなか規律正しい植物である。
奈良の山の中には細々ではあるがまだこんな群生が存在している。どうか心無い乱獲者に荒らされることなくこの先もずっとここで咲いていてほしいと願わずにはおれない。
お昼を回っていたので食事をしようと付近を探すも見当たらず、やはりまたコンビニでサンドイッチと珈琲を摂る。じつは一軒ライダーズカフェがあるのだが何とはなしに僕の趣味とは違うので通りすぎた。ま、今日は走ることが楽しいので良しである。
帰りはそのまま来た道では面白くないので榛原から真っすぐ西へ向かって長谷寺、吉野を通り過ぎ明日香あたりから南阪奈に乗っかって尚真っすぐ堺まで走る。絵画教室のスケッチ会を堺の大浜公園付近にしたいと考えていたのでその下見がてら。で、描きたいと思っている旧堺燈台は公園からちょっと遠く、建物としては面白いが風景としてはちょっとかなという感じなのでわざわざここまで来ることもないだろうと思ったり思わなかったり。

それでも写真にすればなかなか良い感じであるが。この燈台もまた絶滅危惧種、いやもうすっかり絶滅してしまって今は剥製のようになった燈台でする。
3時を過ぎていよいよ帰路につく。堺に来たらこれだろうと「かん袋」のくるみ餅を買って帰る。帰りに立ち寄るいつもの珈琲豆屋のお姉さんにもお土産にと一つおまけに買って帰る。コーヒ豆屋には5時閉店ぎりぎりに到着し、オーナーの美人のお姉さんにくるみ餅を渡してガテマラ200gを買い、しばらく雑談して帰る。
GUZZIのシールドとエンブレムがやっとこさ届いたらしい。が、フロントフォークの交換品がまだこない。そこでちょっと先になるがフロントフォークが来次第、初回点検といっしょにそれらの取り付けもしてもらうことにした。めんどくさいから一度に済ませようと思った訳である。だからGUZZIの完成形お披露目はまだ少し先になりそうである。