嵯峨の秋 紅葉

だいぶ前になりますが、京都のとある呉服屋のCMで嵯峨の竹林に振袖を来た娘が遊ぶというような映像があってバックに流れるニューミュージック系の曲が、嵯峨野笹の葉さやさやと〜♪と唄う「嵯峨野さやさや」でした。これによって多くのかたが嵐山から北西を嵯峨野と勘違いされてしまった感がありますが、あの竹林は嵯峨であって嵯峨野ではありません。嵯峨野とは大覚寺付近の土地の呼称で多少ややこしい感がありますが地元民は厳然と区別をしてほしいと願うところです。
ということで、昨夜ふと嵯峨の紅葉を写したくなりまして、今日は早朝から出かけてきました。午後から我が家の竹垣作りをしたいので、午前中限定で出かけました。娘に住まわせている嵐山の別宅にクルマを置いておこうかとも思いましたが、目的の場所からちょっと離れているので今日は素通り。娘はまだ寝ているらしく門灯が点いたままでした。おいおい、もっと早く起きんかい。
実は昨夜、自分の中で決めたことがありまして、それはレンズを135ミリしか使わないと言う制約でした。あくまでこの焦点距離だけを使ってみたい、使えるようになりたい。その練習に何を写しに行けばいいのか。
135ミリははっきり言って苦手なんです。綺麗な女性のポートレートなんかにはいいのでしょうが風景を切り取るには僕の視野、つまりは僕の興味の範囲が違いすぎるんですね。スケッチにしたってやや広角気味につい描いてしまいますのでレンズでいうと35ミリ程度が僕の意識の画角なんですね、描いてて安心できるし。
しかしいつまでもこの安心感のぬるま湯に浸っているわけにはいきません(キッパリ)。世の中のありとあらゆる事象をあるがままに眺めるにはもっとフレキシブルな視線を持たなければなりません。で、今回は135ミリ縛りなんです。
とまあ前説が長くなりましたが、今日の相棒はNikonD700にAF DC-NIKKOR 135mm F2 にしました。このレンズはデフォーカス イメージ コントロールという、前後のボケを調節できる機能があるのですが、はっきり言って全く使ったことがありません。今日は使うことが出来るのでしょうか。
九時前に清涼寺の駐車場に入ります。ここの駐車場は案外穴場なんですがやはりこの時期、もう既にほぼ満車状態でした。係の人に駐車料金を支払い、ジャンバーにマフラーを巻いて先ず向かったのが厭離庵。嵯峨はほかにも有名どころの社寺が沢山あるのですが、もうどこも俗っぽくなって古刹の静寂な空気は味わえなくなりました。ただ厭離庵は未だ辛うじて世俗から隔離されたところで、実はは知る人ぞ知る「散り紅葉」が有名なところなんです。庭の青苔の上にちりばめられた真っ赤な紅葉、そのコントラストはまるで西陣織の艶やかさ、ついうっとりしてしまいます。

入り口までの狭い道を抜けてゆきます。厭離庵は普段、非公開なんですが秋の紅葉時期のみ公開しています。

おっと残念。紅葉はまだ殆ど散っていませんでした。例年ここの紅葉はちょっと遅いのですがすっかり計算が狂いましたね。

替わりに黄色い葉が落ちていました。これもカエデの仲間でしょうか。

しかも本堂脇にホトトギスが咲いていました。うちの庭のヤマジノホトトギスはすっかり花が終わったというのに。ここだけ季節が遅く動いているのでしょうか。
じつはここ厭離庵藤原定家小倉百人一首を編纂した時雨亭(小倉山荘)があったところといわれています。ほかに二尊院、定寂光寺も時雨亭跡と称していますが、僕はここが一番ふさわしいように思っています。後に荒廃したところを冷泉家が建て直したということです。それにしても定家の百人一首は謎が多いですね。その選定が玉石混合といいますか、何か背後に意図的なものがあるように思いますね。一つの仮説として百首を縦十首、横十首として置いた場合にあたかも時雨亭の窓から眺めた風景のようだというものがありあますが、スケッチが好きな僕には面白い説だと思います。

庭に面した庫裏の縁側にしばらく座っていると面白いものを見つけました。写真では見づらいですがたぶん白実のセンリョウ
だと思います。珍しい。以前どこかのお寺で見たことがあったのですが記憶が薄れてしまって思い出せません。

漸く陽が当たってきました。実はクルマを降りた頃から時雨れてたのです。まさに時雨亭にはうってつけですね。嵐山の冬は時雨れる日が多くて洗濯物がなかなか乾かないんです。しかも底冷えがして明らかに市街より5度ほど温度も低いと思います。

ぼつぼつ人が増えてきました。退散します。

このあと清盛寵愛の祇王、祇女にちなんだ祇王寺、これも平家物語、滝口入道と横笛との悲恋を伝える滝口寺(両寺とも明治時代に造られた)と思ったのですが、そちら方面へ続々と観光客が歩いてゆくのを見て諦めました。
諦めて道を引き返し宝筐院を訪ねました。

入り口から団体客に遭遇しました。しかも中国語の方達。尖閣問題で冷えきった日中関係を観光が暖めてくれるとしたら大いに結構な話だと思います。その中のカップルにシャッターを押すことを頼まれたのですが、スマホは戸惑いますね。でも何度も礼を言われて爽やかなお二人でした。

ドウダンツツジが深紅に燃えていました。カエデとはちょっと違った赤ですね。見事です。我が家にも一本植えていますが日当りが悪いためにここまで赤くなりません。残念です。

庭の一番奥にある墓所。その石造りの扉に刻まれた二つの家紋。歴史好きならおや〜?と思うでしょ。足利に楠木とは。元々ここ宝筐院は小楠公楠木正行墓所首塚)でもあるのですが、なんとその敵関係であった足利二代将軍、義詮も並んで葬られているんです。実は義詮は南朝側の正行を密かに思慕し、その人格を高く評価していたので、遺言に小楠公の傍に祀ってほしいと残したそうです。敵同士の関係を超えた人間としての深い尊敬があったのでしょう。何とも美しい話ですね。

残念ながらここもモミジはまだこれからという感じでした。が、

やっぱりドウダンツツジは赤かった。

クマザサ越しに見える紅葉。クマザサのクマは隈のこと。そういえば新年の歌舞伎が楽しみですね。それにしても135ミリは使えてませんね。やっぱり難しい。ただわりとこのレンズボケ味が素直ですね。

ちょっとだけ、散り紅葉です。杉苔の緑の上に落ちた赤い葉、抽象画のようですね。


どんどん人が入ってきます。その中に一人、白人の娘さんがしきりに写真を撮っていた。持っているのはNikon。なんか妙に嬉しくなりました。

ちょっと時間が押してきたので、最後に清涼寺を参拝します。ここは地元では嵯峨の釈迦堂とも呼んでいます。その名の通り国宝の釈迦如来立像がご本尊です。普段は前仏があり帳の向こうで見られませんが今日は公開されていました。気品あるお姿でした。この清涼寺には念仏狂言が今に伝わっていて子供の頃母に連れられて見に来たものです。たしかその時に演者がかぶる面を模したものを嵯峨面といって、藤原孚白というかたがこの寺の裏辺りにいまも作っておられると聞きます。同じ藤原姓、定家さんと何かつながりでもあるのでしょうか。


少しくたびれたのでコーヒーヤマモトで休憩。遅い目のモーニングセットをいただきました。ここは昔からある喫茶店ですが観光客が滅多に入らないので静かなんです。若い頃に嵐山でお茶する時は天竜寺ちかくの「萩」かここ「ヤマモト」でした。カウンターだけの「萩」でよくハンバーガーをたのんだっけ。あの頃の嵐山は道の松並木が美しくて、人は多かったけれど落ち着いた雰囲気でした。今の喧噪を見ていると懐かしさというより悲しくなってきます。時代は想い出には残酷に変わってゆくんですね。
結局、ご覧の通り135ミリは、やっぱり使えませんでした。