金縛りの夜

11時過ぎにベッドに入って就寝前の読書はこれとばかしに澁澤龍彦(彦は人遍に彦が正しい)の幻想譚のなかに引き込まれているうちにいつの間にか寝入ってしまって、その読んだ本のせいか解らないが金縛りにあって今、なんとか正常に戻って一階のソファに座ってします。ただ今も動悸がすごいので、チャイを作ろうと今湯を沸くのを待っている最中です。今月に入って金縛りがよく起こるようになってきました。どれも恐ろしいものばかりで気分が滅入ります。大抵は家内が枕元をどんどんと叩いてくれて正気に返るのが常ですが自分のほうかは何のアプローチも効果がない。声にならない声を上げて「う〜う〜あ〜あ〜」
僕の不眠はこうして始まるのです。

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昨日は、次回の絵画教室のためのネタを仕込みに大津に出かけてきました。浜大津にちょうど姿のいい作業船があったのでこれをスケッチし、三井寺の南にある琵琶湖疎水の取り入れ口あたりの景色を描こうと思っていたのですが塩梅良く駐車できるところがない。ここまで来たのに惜しいとは思いましたが引き上げて帰ってきました。
最近とみに思うのですが、心に留まる風景がもう殆どなくなてしまってたんじゃないでしょうか。国立公園、文化財遺産とかいう所にはたしかに整備された風景や建物が残りはしているのですが、そんな対象物が筆を執らせるに値するとは考えてもいない僕はもっぱら普通の街並や風景を描こうと思っているのですが、そんな場所が最近めっきり減ったように思います。
思うに、合理性だけを専らにした構造物の氾濫や統一性の片鱗もない住宅群がその主な原因じゃないだろうか。由緒ある地名まで捨て、どこにでもあるような空々しい名前の分譲地に建つ家にはどこか風格が生まれない。そんな無味乾燥した景色の中から情感豊かな人間は生まれてきにくい。これは最近の藝術離れの最も重要な原因ではないのだろうか。

一月に海老蔵の歌舞伎を観てから、いよいよ歌舞伎熱が上がってきた。今月も新橋演舞場中村勘太郎改め六代目中村勘九郎襲名披露二月大歌舞伎」を観劇しようかと企んでいます。これは夜の部の「春興鏡獅子」が観たいと思っています。ただ午前の部の「鳴神」も興味ありで新春公演で海老蔵もこのネタをやりました。雲の絶間姫がこのときは扇雀で物凄く良かった。それを今回は勘九郎七之助のコンビが受けて立つ格好です。ちょっと面白そう。

やっと少しうつらうつらしてきました。タイプミスが多くねってきています。そろそろベッドへ行こうと思います。