癲癇持ちの気配

tochanboya2009-05-21

五月二十日(水)
脳の状態悪し。途中覚醒が最近一段と続く。そこでコンスタンを倍量にするや午前中身体が鉛のように動かぬ。今度は薬気を抜いてみる。途端に電撃様の発作が頻出。思えば途中覚醒もこの発作が原因。左手の甲まで痛みが走り一瞬記憶が飛ぶ。今までにない症状で不安。どうなるのか。

身体は、元気がある。むしろじっと出来ないのがこの症状か。いつものコースを走る。我が街にもとうとう新型インフルの罹患者が出、念のため二人ほど自宅待機をしたいと連絡があり時間が出来たため。
途中WR250F乗りの方と暫し歓談。しかしこの二台、配色が頗る類似してしる。面白い偶然だと思った。彼は樫田あたりから林道に入って亀岡に向かうらしい。なかなかの闘志である。

そのまま帰るのも気が進まぬので本山寺へ向かう。勧進架けまでは行かず成合の別れから川久保へ下る。

こちらの参道入り口にも鳥居がある。神仏習合の名残も本地垂迹の思想もここではひっそりとしたものだ。静かに佇んでいる。
最近このコースも前半はフロントアウター50丁のみで走るようになった。50×24丁、本山寺参道では流石にフロント34丁になるが、決してリアは26丁は使わぬ。意地でも。

五月二十一日(木)
通院日。早朝四時に目覚め、自分で朝食を作る。作るとはいえチーズトースト、卵焼きウィンナー巻き、少し卵にごま油を垂らして溶くと香ばしい。見たことのない柑橘があるのでそれを食事後にコーヒと一緒に食べる。六時四十分SLKで出発。発作の事についてM医師の言によると癲癇症状に似るとのこと。次回発作時に登院し脳波測定で決着をみる。
M医師の診察で気分が良くなり、帰り宇治川ラインを瀬田方面へ走ってみる。宇治橋でオープンにして走る。改めてこのSLKの運動性能に驚嘆。コーナー速し。エンジンの軽さ故か、タイヤ性能か。適度にアンダーが押さえられきびきびと走る。腕が上ったように錯覚する。
目的地の立木観音の駐車場には十時頃着く。寺へは七百六十余段の階段あり、九十九折れの角々に観音講の方の作品か、俳句の碑が刻んであり、中にはこれはと思うものあり。

汗を掻き掻き登った境内は狭いながらも本堂、渡り廊下に見所あり。
本堂で黙祷、南無大師遍照金剛、南無観世音菩薩。
その後縁起物を買う。小さな金色の招き猫。

三十年ほど以前に買って最近行方知れずになった猫。まじないの類は一切信じぬが何やらこの猫だけは気になっており、それを求めてここへ来たと言ってよい。家族の分も買う。右は以前の袋。今も昔も変わらぬ台紙に驚く。

本堂左横の石段を登れば奥の院あり。途中の釣鐘を搗く。煩悩を払おうとするも無理だと観念する。

鐘の音は心に滲みる。先週は尾道、千光寺で搗いた鐘の音とはまた趣が異なる。

奥の院は流石に霊験を感ずる。ふと見ると独り手を合わせる二十歳とおぼしき女性の頬に涙が一筋。
どういう願い事か知る由もないが、痛々しい。


柚湯を貰う。美味。疲れが一気に飛ぶ。


石段の数、およそ七百六十余段。下りは数えながら下りたが、途中で数が怪しくなる。
改めて数字に弱い自分を悲観。

帰りも宇治川ラインをオープンにして飛ばす。木々の枝を揺らす風の音。鳥の声、ウグイス等の鳴き声がヘルメットを着けない分オートバイよりも音が近い。爽快。

京滋バイパスから名神で吹田のサイクルショップKへ。そしてやっと実物を見る。
我がパナソニックチタン。去年十一月に発注以来紆余曲折、いよいよ形になってきた。

ところが、またフリーアウター側とフレームが微かに接触する。今回で二回目。もう一度柏原工場にて研磨するか、他のフリーをあたってみるか。納車時期未だ知れず。

夕食を済ませ、T氏の呼び出しで大阪市内へ行く。ガストで談話。帰宅十一時半。
深夜一時過ぎ寝る。