九州旅行と猫の死 2


今夜の宿は深耶馬渓「一目八景」が目の前のところだった。

部屋の窓にはどーんと奇岩が押し寄せてくる。じっと見ていると恐ろしいような景観である。恐ろしいと言えばこの旅館、さすがにゴールデンウィークを過ぎたからか閑散として、いや、閑散どころかこの建物には僕一人しかいないようだ。向かいの本館から給仕の女性が来てくれたきり、しかもその女性もこの旅館には関係のない人らしく、ポットを部屋に置いたきり帰ってしまった。少々鄙びすぎる宿であったが、温泉は掛け流しである。誰もいないのでパンツ一丁で入りに行こうかと思ったが思い留まって正解だった。程なく隣の部屋に夫婦の客が入ってきたようだ。少し安心して、相当年季が入った部屋も楽しめるようになった。
この宿が口コミで高評価なのは何故か、道向かいのこれまた鄙び過ぎてる本館での夕食時にその訳が分かった。宿の若い主人が腕を振うメニューはたしかに山里の質素な品々あるが、主人の愛想の良さがそれらを美味しくさせてくれるのである。隣の夫婦ともいつの間にか話が弾み、名酒「耶馬美人」25度が喉を焼くころには大団円となって話が尽きず、深耶馬渓の夜は深々と更けゆくのである。


翌朝、自転車を組み立て、いよいよ耶馬渓一周ポタリングに出かけた。一周と言っても4、50キロと距離はさほどではない。ただ予想通りアップダウンが激しかったが、そこは我がトーエイランドナー、こいつの駆動系には坂道が得意なMTBのものを付けてあるのでいかに貧脚な僕と雖も快適に走れた。

ここで快適と書いたがそれは嘘で、心はというと今にも押し潰されそうになっていた。朝、家内からの電話は猫が死んだことを知らせる内容だった。最期は家内の腕の中で小さく二度啼いたという。

抗癌治療を始めて約二ヶ月であった。思えばよく頑張ってくれたと思う。十三年前に近くの公園に捨てられていた推定一歳の牡猫であったが、とにかく人怖じしない性格で愛嬌満点だった。また賢い猫で後から来た二匹の猫をきっちりと躾けた。帰宅すると玄関でいつも僕の肩に飛び乗ってきた。ちょっと痛い歓迎であったが嬉しかった。

玖珠まで南下しそこから裏耶馬渓を中津に向かう。
元々はペットショップで売られていたものらしい。生粋のアメリカンショートヘア、シルバータビーで丸顔の可愛いやつだった。家を出るときに痩せた身体で僕の腕にしがみついていた姿が、その軽さが今も腕に残っている。

かなり北上してきた。立羽田の景というところ。いやはや何という景色だろう。お伽話に出てきそうな光景である。この場所はバス停で,一人のご婦人がバスを待っておられた。ぽつりぽつりと話しだしたところによるとその方、若い頃は大阪に住んでおられたそうだ。人の良さそうな方であった。少しだけ気分が晴れて来た。

いよいよ、出発地点の深耶馬渓に向かう道に出た。ポタリングもそろそろ終了である。

がらんとした宿に帰って自転車を車に積み込み一風呂浴びて汗を流し、主人に礼を述べて二日目の宿、南阿蘇へ向かった