Biwa-ichi

昨今、「ビワイチ」「アワイチ」なる言葉が主に関西方面でよく使われるようになってきた。といってもこれは関西の自転車乗りの間でという限定があるのかも知れないが、いわゆる琵琶湖ないし淡路島を一日(殆どの場合)で一周回すると言う催事の略語だ。もちろん自転車で周回するのは言うまでもない。しかしながらある時点から以前はこの二語はそんなに使われなかったし、私も数年前から知ったものだ。ある時点からというのはロードレーサー人気が急に上がってきた時点という意味だ。これらの語とレーサー人気の間には歴然とした相関があると言って良い。何故か、それは実に簡単なことでレーサーで走らなければ一日でこの距離を走れないからである。「ビワイチ」「アワイチ」が隆盛になるにつれて自転車の車種の一極化が進んで行くのである。
それに独り半旗を翻すつもりではないが昨日走った「ビワイチ」はまさにレーサーでなければ成り立たないこの言葉の意味をシミジミ感じることになったのである。

Uさんとサイクリングの遣り取りをしていて、Uさんから「今度の日曜、Hさんとビワイチするんだけど来ない?」とお誘いを受け直接Hさんに連絡、急遽参加させてもらうことになった。8時に道の駅「米プラ」に集合。

三人とも無事遅刻もなく集合。なんたって三人合計年齢156歳である。朝の早さには強いのである。黙々と出発準備、そしていざ出発となった。

今回のビワイチは反時計回り、左回りである。実は過去に数回ビワイチをしているが左回りはうんと過去に一度あるのみでそれ以来何故か湖西を北上するのが私の不問律となっていたので、今回は最初から気分一新である。実はこの右回りには私なりに科学的根拠があって、それは左側通行のこの国の道でその左側が殆どずっと琵琶湖であるというのは非常に不都合だと言うことだ。特に湖東から湖北にかけての湖岸道路にはコンビニが少ない上その殆ど全てが湖岸を左に見て右側、左回りだと道の反対側にある。これは自転車にとっては痛い。道路の横断は気が引けるし危険だ。そして何より心の中で「次に左にコンビニがあるまではオシッコ我慢しよう」などという自然の生理的欲求を含めつまらぬ痩せ我慢を自分に強いてしまうのが辛いのである。
しかしやはりこの「道の向こうじゃなく、より近くに琵琶湖を感じる」も悪くない。いやいい!コンビニが道の向こうにあったってどうってことはない。だって今日は仲間と一緒、赤信号も怖くないのである(そんなことはしませんが)。そうか、今までは殆ど独りで走っていたからそう思えたのだ。改めて仲間と走るって素晴らしい。

順調に近江八幡国民休暇村の緩い峠を越えて、貴重な左側のコンビニ「ファミマ」に到着。ふと振り返るとUさんがいない。少し遅れているのだろうと来た道を眺めつつ待つも一向に姿が見えない。と、同じ道を同じくビワイチ決行中と思われる一団が走ってきて我々の佇むコンビニになだれ込んできた。Hさんが内の一人に尋ねると「故障されてるみたいですよ」という返事。あらら引き返しましょうということで来た道を、ややあってそこにはパンク修理中自転車倒立状態のUさんの姿があった。心の中で少し安心した。というのもこのUさんの愛車、生粋のイタリアンヴィンテージなんである。知る人ぞ知るの貴重なミントコレクションレベル。故障といわれると、すわっ!リアエンドが曲がったか、はたまたリムに振れが生じたか、と心配になったのである。パンク程度で良かった、言って良いのか悪いのか分からない状況の中、しかも目の前のワインディングをさっきからなんどもレーサー気分で疾駆を繰り返しているコペン改に悩ませれながらも、そこは酸いも甘いも噛み分けた中年三人ワイワイと陽気にタイヤを嵌め換え(チューブラーである)待ち時間と合わせれば予定より約一時間の遅れで先に進むことになった。実はこの一時間の遅れが逆に幸運だったと思い知ることになるのはまだ暫く先のことであった。

彦根城を目前にして幹線を逸れ、のどかな湖岸の道を走る。途中景色のいいところがあったので各々脚休めがてら記念撮影。来年の賀状に使うつもりで写すとか何とか言いながら、ここでもワイワイ陽気なものである。風は出てきたが天気は上々。
と、ここまでは順調だった。しかしその後、たしかにさっきの橋梁の上りが辛く感じたんだけど気のせいかなと思っていたことが現実となって襲ってきたのである。そこから少し北にあるコンビニで休息した折にカロリー摂取をしないまま走ったのがいけなかったのか、思えば昨夜の忘年会以来、口に入れた食べ物が先ほどのファミマでのカレーまん一個のみだったのがいけなかったのか、両方いけなかったとは思うが何となく「脚が重いな」と思う間もなく目の前の世界がキラキラと星が輝くようになった。

ぐんぐん二人との差が広がってゆく。でも苦しいという感覚はない。世界がキラキラしているのだ。音も聞こえにくくなってきた。
ハンガーノック直前だった。
あまりの遅れに心配しながら待っていてくれた二人に事情を説明しややペースを落としてもらう。この時点で12時半。実はHさんは密かに余呉湖の向こうにある鰻屋で昼食をと考えていたらしかったんであるが、私の事情で敢えなく木之本のセブンイレブンだったかで、おでんとおにぎり、ほっとレモンにスニッカーズお〜いお茶にボスレインボーと無茶苦茶な選択の昼食となった。店先の寒風吹きすさぶ歩道の縁石におっちゃん三人並んで食い物を頬張る図というのは、たぶん一般人の理解を越える姿であろう。誰しもその場にいたら三人に視線を合わせず遠巻きに避けて通りたい状況なはずだ。しかし当の三人は陽気なもので大いに喰い、話し、笑った。特にUさんの乗馬話は興味を持った。ふとUさんが秋山好古と見紛う私であった。
長い目の休息を取ったあと、三人は湖北からマキノへのビワイチ唯一の山岳路?をひた走る。空模様が怪しい。風がきつくなってきている。が雨は降って来ない。マキノを越え進行方向が西から南西に変わることでこの時期特有の北西の強風が追い風に変わった。しかし二人になかなか追いつけない。ここへ来て車種の差が出たと自分には言い聞かせることにしたのだが、実際には身体がついてこん状態だった。それでも宝船温泉前の自販機でアクエリアスを買って飲んだころから、やっと先ほどのおでんがエネルギーに変わってきたのが分かった。そしてまたも道端で待っていてくれた二人に追いつき一旦短いコンビニ休憩(その時はシュークリームを汚く頬張り、お茶)のあと

西日に照らされながら一路南へ。


そのまま白鬚神社に到着。いつ観てもこの鳥居には感動するのだが、この日の情景を二度と忘れることはないだろう。美しかった。

さあ、あと残すところ50キロほどか。ふとここで気が付いたのだが、このあたり道が所々濡れている。ということはあの時、あのパンクで一時間遅れなかったら、我々は冷たい雨と風に阻まれて引き返すことを余儀なくされていただろうことは容易に判断できた。パンクあってのビワイチだったのである。万事塞翁が馬之助じゃなかった馬だったのである。
比良山系に残光が群青色と変わる頃、見覚えのある観覧車のそばを通り、無事米プラ帰着。

やはりゴールは感動する。大感激である。達成しました。
しかしやはりビワイチはレーサーに限るというのが今回の結論でもある。お二人の足を引っぱり倒したことを陳謝いたします。