美術鑑賞の日

友人からの勧めもあって京都近代美術館へ「日本画の前衛」展を観に行く。

太平洋戦争開戦前夜から戦後にかけての日本画に起った前衛運動。そこに焦点を当てた展覧会である。「ある意味」興味があった。「ある意味」というのは日本画という技法への拘りがどこまで解消できたのか、また出来なかったのかという意味である。結果はやはりというか、予想していた通り出来なかった。意欲は十二分に感じ取ることが出来るが明らかに西洋アバンギャルドの模倣に終わっている感がある。影響以外のものが見て取れると主催者は観ているが、それは直裁に言えば色使いの違いのみだろう。しかも決定的に色が悪い。運動初期の作品「花の夕」(船田玉樹 作)の梅の花のピンクには救われたが、後年になるにつけてその陰鬱な色彩がますます顕著で気が滅入ってくる。戦争画という挫折を味わうもそれ以前から既に色彩は死んでいたと思う。私には日本画に対する「偏見」があり、特にその色彩は馴染めないものがある。そこへ日本画家特有の「日本画」斯くあるべしという不問律があるように思えてならないので余計立ち入りたくない世界でもある。私にとって日本画の前衛運動はその不問律への挑戦でなければならなないはずだった。しかし作者達は苦悩するばかりで答えが見当たらないまま運動は収束を迎えてしまい、戦後のパンリアル結成も一時の細波であり結局大きな潮流にならずに消えてしまった。そんな展覧会だった。だがあまり否定的にならずにおこう。激動の時代にこのような運動が起ったこと自体は驚嘆で大したものだから。ただひとつ「ダイアナの森」という四曲一双の屏風絵があり、これが異様でしかもエロティックだった。よく見るとわざと隠し絵のように男女性器がらしきものが描いてある。確信犯とみて少しニンマリさせられた。常設ギャラリーでのユージン・スミスの戦争写真と浜田知明エッチング、有名な初年兵哀歌シリーズで余計憂鬱になった。しかし最後の最後、河井寛次郎の作品を見てホッと一息つけたのは救いだった。

じっくり観すぎて時間が経つのも忘れてしまった。遅い昼食を北白川のPrinzでとる。

乾燥した午後の日差しが心地よく目に染込む。